喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

説明の上手な人と下手な人の違い ~概念がない?~

説明の上手な人と下手な人の違い

先日書いたのは、説明の中に『わからない言葉』が含まれているということでした。

 

説明の上手な人と下手な人の違い - 喜哀楽の考え方

 

今日は概念自体がないというお話です。心理学の分野になりますが、人は話をしていても、その事柄の概念自体がないと全く理解できません。ケチを理解するためにはケチという概念が必要です。自分自信にケチに該当するケチケチ根性とでもいう概念が無ければ、ケチ自体を認識出来ないのです。人から『あの人ケチよね〜』と言われても、概念がなければああ言うのをケチと言うのかな?と漠然と理解できる程度です。

別の例えにしてみると、赤道直下ジャングルの奥地に住んでいる人に、『雪』を説明することを想像してみて下さい。言葉が通じるとしても『雪』を伝えることはかなり困難です。全く概念が無ければ、似たものを示して類推してもらうか、二つの例の延長を想像してもらうかのどちらかしかありません。本当の『意味』でわかってもらうには、『百聞は一見にしかず』の諺のごとく、実物を見てもらうしかないとは思います。可能であれば…。

理解出来ないことが容易に想像できる極端な例を書いてみました。実は同じ日本で生活していて、日本語が通じていると概念が無いなんてことがあり得ないと思い込んでいることがあるのです。この認識のズレは同じ学歴でもあり得ますし、同じ職業でも似たような境遇でもあり得ます。方言を標準語と思い込んでいる場合と似ていると思います。

言葉を変えてもわかってもらえない場合、もしかしたらその概念自体がないことも想定して、説明してあげてみて下さい。

長くなってきましたので、今日のところはこの辺で。