喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

日本における英語教育の改善案

教育関連で書いているので続きを。

 

教育改革に思うこと - 喜哀楽の考え方

 

 

具体的な教育改革の提案 - 喜哀楽の考え方

 

英語教育が奏功しない理由

それは英語を日本語に変換して学ぶから。授業が日本語で行われている。
また学校で習熟度を測るためテストを行うが、日本語で出題している。
減点法であるため、文法や翻訳の正しさを尺度にしている。間違いを探すために出題している。できることを探すためには出題されてはいない。
評価する際、できないことを指摘する方ができることを認めるよりはるかに容易なため、教える側の都合に合わせて出題されている。
英語で考えることができるようになったことを評価してあげれば良いだけなのに・・・。
 
いわば日本語を通して英語を理解しようとさせている。
コンピュータの言語のわかる人であれば理解がしやすいのは、日本語というOSの入ったパソコンに英語というOSを導入する場合を想像してみて欲しい。
今の日本語教育は、英語のエミュレーションをする教育である。
コンピュータにおけるOSのエミュレーションというのは負担のかかる作業なので、高機能のコンピュータにしかできない。しかも変換作業が必要なため、動作がどうしても遅くなってしまう。

人間の頭における言語のエミュレーションもベースは日本語のままだから、変換して英語に出来る能力の高い人と変換能力が追いつかなくてできない人が出る。
今の英語教育では能力の高い人間のみ英語が習得できるように設計されている。(一部の人間の意図でわざとかもしれないが・・・)
何故なら一度日本語に変換した上で、英語を理解するように仕向けられているから。
英語で考えるように設計された習得方法ではないから。

英語圏で生まれ育った人は全員話せるのに・・・。
この違いは一言で言うと言語習得においての『変換の有無』。

『英語を日本語に訳しなさい』なんて間違いを指摘しやすいだけの授業をなくし、英語で答えなさいという教育にすれば良いだけ。
写真や絵を見せて、『What's this?』からはじめ、英語だけで過ごすとすれば・・・。
急速に習得する子供たちも多いだろうに・・・。