喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

謝罪について ~人間なら・・・~

謝罪について思います

テレビでの謝罪会見。
○○してどうもすいませんでした!

日常生活でもあります。
どうもすいませんでした。

不祥事で当事者じゃない人間の謝罪はその『意味』がわかっているかもしれませんが、当事者が出てくる場合、何が悪いか『意味』がわからずとにかく謝っているだけに見えることがよくあります。怒られているから何だか悪いことをしたんだろう。とりあえずこの場を逃げ出すためだけに、御免なさいと謝っておこうと考えているようです。
本来であれば、何がどのように悪かったのかを説明してもらうのが一番の謝罪です。謝罪の場ではなかなか難しいですが、再発防止策まで言えれば100点だとは思います。

御免なさいなら鳥のインコが言えます。教えればいいんです。
ICレコーダーに録音か動画を探してきて、再生ボタンを押すだけでもいいかもしれません。
御免なさいを『その場をやり過ごすための呪文』みたいなものと勘違いしているんですから。
呪文を唱えるだけなら何も人間である必要はありません。


おしゃべりハッピー、ごめんなさい、ください。 - YouTube

14秒くらいのところにあります。『ごめんなさい』の呪文が。

御免なさいと言えば終わりと勘違いしている人が多いですよね。
私は謝罪の始まりでしかないと思います。

御免なさいという言葉はわかりました。では何が悪かったと思うのか、何が根本原因なのかを自分の言葉で説明してもらえば良いと私は思います。
私が『質問』できる立場なら、『謝罪に至った経緯の何が一番問題だと思いますか?』と聞いてみます。

謝罪に至る経緯にはただ単に勘違いから配慮不足あるいは思い込みや思いあがりなどの問題がベースにあると思います。
その元の問題を見つけ出して謝罪しなければ、同じことを繰り返すのは当然のことです。

御免なさいの場面で反省の振りだけして、その場をやり過ごそうという考えが透けて見えます。
反省の振りならお猿さんでもできます。以前流行った反省ザルと同じです。


反省猿CM(新三共胃腸薬) - YouTube


鳥やサルでも反省の振りはできます。
人間ならどうやって謝罪するの?と聞くようにしています。

反省の程度を、自分自身がデメリットを被るか、相手へのメリットを作り出すことで表現した上で謝罪するべきだと私は思います。
企業での謝罪であれば経営者の報酬を削減して被害者への救済や、 顧客への割引をする。あるいは非売品を謝罪の品として配ることで許しを乞う。(費用負担の多寡はともかく、情報流出した通信教育企業は言葉の謝罪だけではありませんでした)
個人での謝罪であれば、相手の喜びそうな便宜を図ってあげるなどです。
相手に不快な感情を持たせたからこその謝罪ですから、どれくらい反省しているかを言葉だけではなく謝罪の代償として表現するようにしようという考え方です。

謝罪の言葉で済むならタダだし安上がりなんてことを考える『隙』をなくすためにも、同じことを繰り返さないためにも謝罪の代償により反省の度合いを示すようになると良いなと私は思います。
だって人間だもの。そろそろ謝罪の仕方が『知恵』のある人間らしく新化しないと・・・。
鳥やサルと同じではね・・・。