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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

怒らない子育て ~誰が悪い?~

昨日に引き続き怒らない子育ての話を書いてみます。

昨日の記事は

 

怒らない子育て ~子供が困る仕組みを作る~ - 喜哀楽の考え方

 
今日はある状況を設定して誰が悪いか考えてみましょう。

お母さんがお隣に持っていくケーキをトイレに行く間だけのつもりで、テーブルの上に置きました。
トイレから出て用事を思い出し、用事をするためテーブルから離れてしまいました。

子供が学校から帰宅してお腹がすいているので目についたケーキを食べました。
トイレから出てきたお母さん、ケーキを食べている子供を見つけて怒りました!

悪いのは誰でしょう?
怒られているのは子供です。
通常は怒られている人が悪いと考えます。

しかし怒るというのは、立場の強いものが立場の弱いものを支配するだけのことです。本当に子供が悪いのでしょうか?
立場が逆だったらどうでしょう?
子供の方が立場が上だったら、目に付くところに大切なものを置いておくお母さんが悪い!。悪いのはテーブルにケーキを置いたお母さんだ!罠を仕掛けたようなもんだ!と怒ることでしょう。

実際には誰も悪くはありませんが、あえて悪者を見つけるのであれば、子供が食べる隙を作ってしまったお母さんでしょう。
何故なら、目に付くところにケーキがなければ子供が食べようがなかったのです。お母さんには子供の目に付かないところに置くという選択枝があったにも関わらず、それを怠ったのです。子供が帰ってくるという可能性を考えることを怠ったのです。子供にもお母さんに確認してから食べるという選択枝も確かにありますが、親が我慢できるかどうか子供に対して罠を仕掛けているように私には考えられます。そもそも目に付かなければ我慢という無用な試練はないはずなのです。ケーキを食べる隙を与えるという、わざわざ罠をはってまで怒らなくても良いだろうと私は思います。

少なくともお母さんの配慮不足から始まったと私は考えます。

お母さんの思い込み、子供は親の思い通り動くべき。が根本にあるのではないかと私は思います。

別の観点で見てみましょう。
絶対食べてはいけない、殺鼠剤入りのケーキでも同じ場所に一瞬とは言え置くでしょうか?子供が食べると死んでしまうかもしれない毒入りケーキだとしたら、一瞬とはいえテーブルの上に置くでしょうか?絶対食べてはいけないと思えば、すぐに目に付くテーブルに置く人はかなり減ると私は思います。つまりケーキを食べる隙を子供に与えたのは、食べてはいけない認識の希薄さが招いた結果です。無意識のうちに食べられても仕方ないけど、食べないでいてくれるよね。と勝手に期待したのです。

最終的に誰が困るかを考えてみましょう。子供にケーキを食べられてもう一度買いに行く『時間』と『お金』を考えれば、親が困るはずです。であれば、親が子供にケーキを食べられるという隙をなくせば済むだけの話です。そうすれば罠もなくなり子供も我慢を強いられるか食べて怒られるという不快な思いをしなくて済みます。


子供に対して怒ろう!と考えたとき、誰が悪い?と根本原因をたどってみてください。

案外自分の責任ということが良くあります。
怒る原因のほぼ全て親が蒔いていると私は思います。
子供が何かを知らなくて、その行動をとったのであれば、その行動の『意味』を教えるのは誰の責任かを考えれば親の責任でしょう。ただ子供は『意味』を知らないだけなのです。
ケーキの話で言えば、大切なケーキというケーキの『意味』を知らなかったのです。
当たり前で子供はわかっているはずだと思い込んで説明が不足していたり、子供にとっての言いがかりだったりします。
子供を責める前に、自分に食べる隙を与えたというような落ち度がないかを考えてみましょう。


子供は親の鏡です。

その鏡を怒るということは、自分を怒るということです…