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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

テレビについて ~勘違いはいつまで続く?~

最近のテレビ番組に思うこと
内容が極少ないものを、ゲストでつないだり、肝心なところをマスクしてCMの後でとか。
肝心なところをクイズにして引っ張ったりとか。
とにかく内容が少ないものを引っ張って引っ張って伸ばして番組にしている感があります。

見たい情報を早飛ばしで凝縮してみると、1時間の録画で15分程度というものもざらです。
確かに私自身が、嘘か本当かわからないゲストの演技じみたコメントに『意味』がないと思うので、特に情報がないと思う一面はあると思います。それにしても内容がゲストのコメントも台本がありそうで、作られている感満載ですね。
情報を薄めて引っ張るのではなく、早送りで飛ばして見るともったいないような内容を凝縮した番組作りをして欲しいとつくづくおもいます。

このままでは10年もすれば、テレビの地位は今のラジオ程度まで落ちてしまうと私は思います。
20年は無理でしょうし、早ければ5年程度で激変が起こるのではないかと思います。
 
私はテレビ関係者は勘違いしていると思います。
取材すれば宣伝効果で商売がうまくいくんだから、取材して欲しいでしょ?
という雰囲気が満載です。
自分達が選んで放送してあげるんだから感謝しなさいという態度にしか見えないことがあり残念に思います。
普通は試食はないけど、『特別』に試食できますとか。
それを事前相談なしで、カメラの前で『いいでしょ?』なんていう下品な番組まであります。要するに自分達は『特別』だから『いいでしょ?』っていう心理としか思えないです。
カメラ回しながら『いいでしょ?』って、駄目といわれれば放送されないだけだからこその『いいでしょ?』ですよね。
私は傲慢だと思います。自分達が特別だと思っている勘違いだともいえます。

確かに世間に対して影響力が今のところあるとは思います。
しかし情報メディアが活字であった新聞からリアルタイムの音や音楽を伝えるラジオに変わり、ラジオが映像を伴うテレビに変わったように、次は全く違うものにうつっていくと思います。
新聞からテレビに大衆の興味が移ってしまった際の、新聞の『知恵』は共存する道を見つけました。敵だと思っていたテレビ番組欄を新聞紙面に作るという『知恵』を搾り出して生きながらえたのです。当時のテレビ放送は何時・どんな放送がするか知らせる手段がありませんでした。行き当たりばったりでテレビ視聴をしていたのです。その不便さに新聞が目をつけて、両方のメディアにとって役立つ解決法を見つけました。

テレビの『目的』は見てもらう視聴率を稼ぐこと。
本当かどうかはあまり気にしていない人たちが作っているようです。
本当の上に人が興味を持ってくれそうなものを見つけることができないから、都合の良いものの中から視聴率の取れそうなものを真偽はともかく放送しているようです。そろそろみんな飽きてきています。

ネットがとって変わろうとしています。
見たいときに見たいものを見ることができるネットと、その『時間』にしか放送していないテレビ。
しかもBSもCS放送もあるため、チャンネルが分散しているので以前より一律の影響力はかなり小さくなりつつあります。

その上テレビは録画機の進歩でビジネスモデルを変える時期に来ているのですが、関係者は恐らくその危機に気づいていません。まぁまだ特別だと勘違いしていられるので幸せな人たちです。
本人達がいつ勘違いに気づくのか楽しみにしています。