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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

記憶の価値の低下 ~記憶に求められるもの~

記憶媒体が発達しているため、記憶そのものの価値が低下しています。
何故なら頭で覚えておくより、記憶媒体を操作して正確な情報を素早く取り出す方が理にかなっているから。頭で覚える記憶には量的限界があるし覚えるのに時間がかかる。その上記憶を取り出す際に記憶すり替え、記憶の脱落などを記憶が正確かどうか検証をする必要があるため今の発達した科学技術から考えて、決して効率的とは言いがたい。

記憶の価値の低下の話は

 

ki-airaku.hatenablog.com

 では人間の頭で記憶する『意味』が全く無くなったかと問われると、『意味』は残っています。
しかも以前よりもまして、『記憶』が問われる時代になっています。前回の記載と矛盾するように思われるかもしれませんが、矛盾していません。
問われる『記憶』の性質が大きく変わりつつあるのです。
以前は『記憶』の量や正確性、即応性が重視されていました。今でも学校の試験ではこれらが問われています。私はつくづく時代にあっていないと思います。
『記憶』の量や正確性・即応性は記憶媒体である機械に任せ、人間は情報として記憶媒体を活用していけば良いと思います。


ただし物事を思考・検討・判断するには『知識』としての最低限の『記憶』は必要だと思います。最低限の『記憶』の上に、記憶媒体から正確な情報を引き出せる検索法を習得しておくことだと思います。

人間に問われる『記憶』とは、思考のための最低限の『記憶』は頭の中に蓄える必要がありますが、細かく詳細で正確な情報が必要なわけではありません。必要があれば正確な情報が取り出せるようにし、思考の過程で正確な情報が必要になった時点で記憶媒体から取り出して確認すれば良いだけのことです。そのため『記憶』は頭の中に蓄える必要はないものの、すぐに取り出せるように記憶媒体から素早く取り出せる手立て・準備が必要なスキルと考えます。

このように『考える』と科学技術が進んだおかげで、全て記憶していないと思考できない時代から必要に応じて情報を追い求めてから『記憶』する時代へと変化していると私は思います。

 

いかに記憶媒体を使いこなし、いかに早く正確に必要な情報を取り出すことができるかが問われる時代になっています。

いつになったら時代の変化に気づき、義務教育のカリキュラムが変わるのか楽しみです。