喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

説明の下手な人 ~質問が理解できない場合~

説明の下手な人の話をしてみたいと思います。
元々説明をするということは相手に何か知らないこと、わからないことをわかってもらいたくて行う行為です。相手の知らないこと、わからないことが自分自身が把握できないと、相手にわかってもらえる説明ができるはずがありません。当然といえば当然です。
しかし説明の下手な人は、聞かれたことを答えているつもりです。これまでに相手の疑問に答え切れていないという自覚がないというか、自覚できないまま過ごしてしまったという方が正確かもしれません。鏡がないと自分自身の顔が確認できないことに似ています。顔にケチャップがついていても、人に指摘されるか鏡を見ないとわからないのです。

顔のケチャップは客観的な顔の確認の仕方がありますが、自分自身の言動である立ち居振る舞いについては、自分の姿形を客観的に確認できる鏡のようなものがありません。人から質問の答えになっていないと指摘されたとしても、そのことを主観的にしか捉えることができないので、どのように質問と答えがずれているのかを理解できないのです。厄介なのは自分自身では答えているつもりなところです。

これまで理解力の問題から意思の疎通で問題があったはずですが、理解するように努力するのではなく、問題が大きくならないように誤魔化す術を身につけているようです。誤魔化して時間切れで相手が諦めるのを待つようです。

対策としては、質問が理解できるような質問の仕方に噛み砕くことです。まず大雑把な説明を求め、説明の本質が少しでもずれたらすぐに引き戻すことです。それでも意思の疎通が困難であれば、質問を2択か3択の選択式にして単語で答えてもらうくらいにしないと、意思の疎通がはかれない程理解力の乏しい人もいます。

 

物事の理解力テストなるものがあると良いと思います。

 

ki-airaku.hatenablog.com