喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

大人になると自分の間違いに気づけない

大人になると自分の間違いに気づけなくなります。
何故ならわざわざ人は間違いを指摘しないからです。

そして自分は正しいのが当たり前で、間違いを疑わないからです。


間違いを指摘されないと正しいと思い込んでしまうのです。
子供の頃怒られて育った方に多いように思いますが、怒られないことが正しいことと勘違いしてしまうのです。
駄目かもしれないけどやってみて、怒られないあるいは指摘されなければ大丈夫、正しいことと判断するのです。最初は駄目かもしれないと恐る恐るしていても、長期間誰からも指摘されないと疑いなく正しいことと周囲に承認されたと勘違いしてしまうのです。この際誰かが指摘すると、『これまで言われたことがない』と言って、勘違いした正当性を主張するのです。つまり言葉の裏に、だから問題ないでしょ?。これまで指摘しなかった人が悪い!。だから私は悪くないとでも言いかねない心理が働いているように思います。

多くの大人は人の間違いや良くない行いを、喧嘩になるリスクを犯してまでわざわざ指摘したりはしません。わざわざ言わないだけなのに、承認されたと勘違いする心理が働くため突拍子もない行動をとる人が出てきます。
多くの人は他人に迷惑をかけることや他人に嫌な思いをさせることを避ける『常識』を身につけていますが、希に『常識』を身につける機会のないまま大人になる人がいます。本人は何が問題なのかわからないため、戸惑いながら周囲とトラブルを起こしてしまいます。周囲の人も『常識』を身につけていない大人がいるということが抜け落ちているため、『常識』は当たり前として出来ていないことややってはいけないことを指摘するため、『常識』に関する認識の齟齬によりやりとりが成立しません。

『常識』を身につけていない人も、悪気があるわけではなく、どうして良いのかわからないのです。本来であれば子供のうちに親や親戚・教師など周囲の大人から、『常識』を身につけるように促されますが、親自身にそもそも『常識』がなければその子供に伝えることはできるはずもありません。こうして『常識』という概念の抜け落ちたまま大人になってしまうのです。

自分自身で『常識』がないことに気づくことは困難です。
何故なら自分がルール、自分が当たり前だからです。人と比較して初めて人とは違うことに気づくことができるのです。しかし人とは違うけれども自分が正しいはずと思い込んでいます。だから指摘されてもトラブルになるのです。多くの人と比べて一人だけ違う行動をしていれば、おかしいかもしれないと判断できるかもしれませんが、一対一で言い合っても結論が出ないのです。『常識』の欠落を指摘されても、指摘した人がおかしいはずと自己防衛を行い、自分が正しいという殻に閉じこもったままになるのです。

自分自身で間違いに気づくことも認めることも困難ですが、もしかしたら自分が間違っているかもしれないという考えの元、周囲と自分の考えを常に比較してみるしか自分の間違いに気づく方法はないと思います。

自分の間違いを認めないままいると、誰からも相手にされなくなってしまいます。
特に友達がいつの間にか周りからいなくなるあるいは職場で相手にされなくなると思っている人は、一度自分の間違いが原因ではないかを考えてみてください。