喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

結果論と経過論

結果が全てと聞くことがあります。
企業によっては結果が全てと断言しているところもあるようですが、私は多いに疑問に思います。
結果が全てというのは偶然だけに左右されるものであれば、結果が全てだと私も思います。
例えば賭け事・ギャンブルです。賭け事であれば確かにプロセスは全く関係なく、結果が全てだと考えても仕方がないと思います。
(実際には賭け事も力量によって結果が歪められるので、歪み具合を予想する要素はありますがここでは割愛します)

企業が新規事業を行って失敗した。
失敗したのだから『意味』がなかったと判断するのが結果論です。
失敗で得るものがあったと考えるのが『経過論』です。
失敗に至ったプロセスを検証することで、結果として失敗したことからわかる『知恵』を学び取るのです。何故失敗したのか?

  • 予想したのに対処が甘かったのか?
  • 予想自体が甘かったのか?
  • 全く予想外のことが起こったのか?
  • 事前に集めた情報が間違っていたのか?
  • そもそもニーズがないところに進出してしまったのか?

やってみないとわからないことは多々あります。
結果が失敗というだけで、失敗に至ったことからわかる『知恵』を抽出しないのであれば、ただの失敗です。失敗を成功の元に変えるために、失敗したからこそ学び取れる『知恵』こそが大切だと思います。

色々なことを想定し、様々な準備をしている経過こそが大切なのであって、結果はその一面でしかありません。
偶然宝くじが当たった人と、事業で億万長者になった人が同じかというと違うと思います。
何故なら偶然に左右される宝くじと事業で成功した人との決定的な違いは、再現性です。宝くじは狙って当てることはできませんが、事業は成功するように準備をし経過を調整することができます。

以前うまくいったから、今回もうまくいくはずと全く他の可能性を準備しない行き当たりばったりな人と、様々な偶発的な事態の可能性を想定して準備している人がいるとします。偶発的な事態も起こらずうまくいったため、行き当たりばったりの人が経費も手間もかからず褒められる会社と、様々な事態を想定してい準備している人が褒められる会社。
どちらも成功ですからどちらも結果は同じです。

結果だけをみて人や組織を判断していると見誤ると思います。

経過から結果を読み取ると成功していても改善点が見出せますし、失敗しても良かったところが見出せるはずです。

経過にこそ『意味』があります。
経過論という言葉があるのかどうか知りませんが、結果論に対して経過論を大切にしたいと思います。

結果が全てではないということが一番わかるのは映画です。
結果が全てなら途中は見る必要がないはずです。
タイタニックという映画で、結果はヒロインは助かって男性は死んでしまいます。
途中タイタニックが沈没する前に救助挺にヒロインだけが乗るチャンスがありました。その時点で救助挺に乗り込んでもヒロインは助かり男性が死ぬのは変わらないはずです。
しかし二人が共に生きることを目指して必死で頑張ったからドラマが生まれるのです。
最終的に主人公の男性は亡くなってしまいましたが、二人で生きる道を命がけで探した結果、残念ながらうまくいかなかっただけのことです。
人はドラマや映画では経過が大切と知っているのに、現実社会では結果だけしか見ないことが多いのは非常に残念です。

私は結果論よりも経過論を大切にしたいと思います。