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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

『他人の不幸は蜜の味』の心理

『他人の不幸は蜜の味』という言葉があります。
その心理を考えてみました。

他人が不幸になったところで自分が幸福になれるわけではないはずなのに、優位にたったと錯覚してしまうことに起因するようです。

人類の歴史の中で食べ物や異性を争って奪い合っていた時代、誰かが失敗すると競争において相対的に優位に立つことができました。食べ物や異性をより得やすくなったのです。そういう『意味』では他人の失敗により、実際に優位に立っていたようです。
生活が徒歩圏内で移動距離も大きくない時代には、誰かの失敗が実際に自分を優位に立たせてくれたようです。直接的に競争することで何かを得ていた時代には、他人の失敗=自分の成功確率アップだったようです。

 

今の先進国では直接食べ物を奪い合うことはないため、他人の失敗が直接自分が優位に立つことは少ないはずなのですが、昔の名残か他人の失敗で自分が優位になる確率がアップするかもしれないという期待感がもたらされるようです。

生活圏が広がり直接食べ物を奪い合うこともなくなり、情報伝達も発達した現在では、誰かが失敗しても自分が優位に立てることはまずありません。
ましてや芸能人のゴシップネタを見ても、自分が直接得をすることはありません。でもつい見てしまうのは、自分が優位になると錯覚する心理が働いているためだと思います。
視聴率が稼げるため芸能人のゴシップネタはテレビで氾濫していますが、私は芸能人が離婚した話や逮捕された話には全く興味がありません。何故ならそれらを知ったところで私の生活は全く変わらないからです。
事件・事故のニュースも、その原因や対策の報道には興味がありますが、原因や対策の報道がなされないただの『他人の不幸』の露出は『蜜の味』を視聴率として表現されているので、いつまで行われるのか疑問があります。