喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

人懐っこい子供と人好きの子供の違い

改めて人懐っこい子供の心理を考えてみました。
親の愛情不足ということは以前からネットでは言われていたようですが、親の立場からすると人懐こいことで自分の愛情不足を心配してしまい混乱してしまうようです。
そもそも人懐こい子供と人好きの子供との違いがあります。そこの区別がつかず親御さん自身の愛情不足ではないかと不安に思われるのです。
以前私が書いた人懐っこい子供の心理は心理からすると愛情不足というよりも、子供に対する相手不足からくるものだと思います。人と接するのが好きな子供とは少し違いそうなのです。

ここで人懐っこい子供と人好きの子供の違いを区別してみました。
一言で言うならば警戒心の有無です。
人懐っこい子供は警戒心に乏しく、人好きの子供は警戒心は他の人と同じようにあります。
人懐っこい子供というのは初対面でも、既知の人でも反応が大して変わりません。人好きの子供は初対面の方に対する警戒心はあるものの、打ち解けると離れようとしません。
前回人懐っこい子供の心理で描出したのは、初対面で全く警戒しない子供のことです。

通常ヒトは一定年齢に達すると、知らないことは警戒します。生まれてから警戒することを知らなかった赤ちゃんが知らない人を恐れるようになるのが、俗に人見知りといわれる状態です。これは未知のものに対する恐怖心が芽生えるからです。
誰もが抱く初めてみたものがどんな反応するか予想のつかないものに対する警戒です。
物や動物に対しても警戒しますし、人の反応に対しても警戒します。
物や動物に対する警戒心よりも興味が打ち勝てば、近づいていきます。
通常は見知らぬ大人が子供に近づけばまず親が警戒するはずですが、親がそばにおらず警戒したり見知らぬ人から引き離すという行動がなければ、見知らぬ大人と知っている大人の区別を子供が出来るわけがありません。見知らぬ大人と会話することに子供自身も親も抵抗がないのです。親が見知らぬ大人を怖いと感じるか、怖いと感じることなく親が相手をしなくて済んでラッキーと考えるかの違いです。そもそも見知らぬ大人に対する不安や警戒心が親にあれば、子供のそばから離れることはないと思いますし、見知らぬ人が遊んでくれてラッキーと考えることはあり得ないと思います。子供に警戒心が育たないため、見知らぬ人に話しかけるのが平気になります。
親に相手にしてもらえない子供が、仕方なく見知らぬ人に話しかけるのです。親が相手をしていれば子供がわざわざ見知らぬ人に声をかける隙はないはずです。しかも見知った人は話しかけてくるのがいつものことだからと段々面倒くさくなって相手にしなくなるため、見知らぬ人に声をかけるしかなくなるのです。

 

もしかしたら親の愛情不足ではなく、ただ単に見知らぬ人でも変なことはしないはずだと根拠なく親が信頼しているのかもしれません。取り返しのつかないほどでなければ多少変なことをされても構わないという心理も働いているのかもしれません。自分で相手するのが面倒だから、多少の嫌な思いをするくらいは仕方がない。通常の親は少しでも子供が嫌な思いを避けるために子供から離れないので、見知らぬ人に無警戒に話しかける子供とその親(の心理)が理解できないのです。
親の意識してはいないでしょうが、プチニグレクトなのかもしれません。見知らぬ大人に危害を加えられたり、子供が嫌な思いをする可能性を排除しようとはしないという点においてです。

 そもそも愛情満点で育っている子供は、親とばかり遊んで離れないのでわざわざ面倒な見知らぬ大人に声をかける暇や隙がありません。親がそばにいるのに見知らぬ大人に声をかける時点で違和感を感じます。もしかしたら見知らぬ人と何かトラブルがあっても親が助けてくれるという安心感から平気で話しかけられる子供の心理もあるのかもしれませんが、親がいるのにわざわざ見知らぬ人に話しかけるのはよくわかりません。親が見知らぬ人を警戒する大切さを伝えていないのかもしれません。

 

一方人好きの子供は警戒心が備わっているため、初対面では警戒してしまいますが、打ち解けると人から離れようとしません。ですから何度も顔をあわせている人には自分から積極的に近づくようになります。しばらく会っていないと忘れてしまうので、思い出すまで警戒するのはご愛嬌です。

人懐っこい子供と人好きの子供の違い
それは初対面でも話しかけるかどうかです。