喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

些細なことで怒る心理

些細なことで怒る人がいます。

子供でも大人でもいます。ちょっとしたことで怒る人。

その心理を考えてみました。
怒るというのは感情なのでとめられないという人もいます。
しかし全く同じ状況に置かれても、怒る人もいれば悲しむ人もいます。
つまり怒りという感情がわきあがり、それを利用する選択をしただけのことなのです。
怒る表現を選んだだけです。感情がわきあがっても表に出さない選択枝もあるわけです。

怒った原因を特定して云々では残念ながら解決法を見つけるのは困難です。
何故なら人は機械ではないからです。
人間が0から作り出した機械であれば、不具合があれば原因を特定して対策をとることができます。
人間はそのときそのときで捉え方が変わり、同じ状況でも反応が異なります。その瞬間の捉え方や怒った原因を特定することそのものが困難なのです。しかもの原因を他人に客観的に表現することには更なる困難が伴います。そして万が一怒った原因が特定できたとしても、次の瞬間には同じ状況でも違う反応になってしまうかもしれないので原因を特定することに余り意味がありません。

ではどうしたら良いのでしょうか?
それは怒る『目的』を考えてみることです。
怒る『目的』の大半は、相手に対して優位に立ちたい心理の現われです。
上司から部下へ、親から子へ。恋人同士や夫婦でもそうです。
一般的に怒った方が心理的には優位に立ちます。
怒られた方が納得いかなければ、怒り返すことで優位性を保とうとします。

次に怒っている具体的な『目的』を探してみることです。
親が子に怒る『目的』の理解は簡単です。親に従わせることです。
上司から部下に怒る『目的』も同じです。上司が部下に優位性を示し、従わせることです。
恋人同士や夫婦でも、怒った方が相手を思い通りにすることが『目的』です。
多くは元々優位にあるものが、改めて優位性を示すために怒りを利用するのです。


では子供が親に怒ってしまう『目的』は何でしょうか?本来親の方が優位なのですが、子供が逆襲をしようとするのです。いわば下克上を目指して親に対して子供の有意性を認めさせるために怒るのです。
怒ることで、子供が親に対して子供の要求を通すことが『目的』です。子供が思い通りにしようと思えば、怒り散らしてでも要求を通そうとします。
親が慌てて怒りを静めようとすると逆効果です。子供が優位に立ったことが確認できて、思惑通り!と思うからです。更に一暴れして、更に優位性を高めてから要求を言うようになります。

些細なことで怒る人の対処法です。
相手が感情をぶつけてくるのを感情的に対応すると、収集がつきません。

優位に立ちたい心境はわかりました。
気に入らないことがあるのもわかりました。
冷静になれたら教えてください。


といって席を立つ・その場を離れることです。(上司に対してはとりにくいかもしれません。)
自分の要求を通すのが『目的』ですから、怒ることで相手が動揺しなければ『目的』は達成できません。次からは怒るという選択枝がとりにくくなります。