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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

行動の基準(常識)の勘違い ~非常識な行動の理由~

人は誰でも行動の基準(常識)を身につけています。
人それぞれ基準が異なるため日常生活で驚くことも多々ありますが、概ね何とか生活できるのは行動の基準(常識)があるからです。

しかし一部の人の行動の基準(常識)がずれて勘違いしている人がいます。
世間一般の常識からずれている人同士が群れているとその勘違いに気づくことができません。
その行動の基準が怒られないことあるいは、注意されないことという人がいるのです。
法治国家ですから法律に違反しないことが前提のはずですが、警察に捕まらないことが基準の人がいるのです。ばれなければ良いと考えている人がいるのです。

こういう人が増えている原因は『子供を怒ってばかりいると・・・』で書いたように怒られて育った結果、怒られないことが『目的』になっているからだと思います。何故怒られるのかを伝えることなく、行動をやめさせるために怒る。怒られたら嫌だからやめただけという理屈です。

怒られないことが『目的』で育った子供が大人になると、怒られなければ良いという誤った倫理観を身につけ社会に出て行きます。特に厄介なのが誰からも注意されなかっただけで、行動が正しいと勘違いしていることです。そんな特徴を現すのが『今まで誰からも言われなかった』という言葉です。だから私が正しいし、注意してくれなかった世間が悪いとでも言いたいのでしょう。言われなかったから私が正しいと勘違いしている表れであり、かわいそうですらあります。

本来は法律を守ることが正しいこと、というよりは当たり前なのですが、捕まらないこと、ばれないこと・人に見つからないことが基準という考えの人たちが集まると非常に厄介です。たまに会社ぐるみで不正を行ったことがニュースにないますが、こういう倫理観の方たちが集まってしまった結果だと思います。
 
世間一般『常識』から外れた非常識な行動を取る理由は、これまで人から指摘されないことは正しいことだと勘違いしていることです。これからも人から指摘されないように隠し通せれば良い、ばれなければ良いと行動の基準(常識)の勘違いを起こしているのです。
人の考えを変えることはかなり困難です。出来るだけ距離をとるのが一番だと思います。
 
みんなが行動の『目的』を明確に伝えるような社会になると、世の中が変わるのではないかと私は思います。