喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

怒ると関係は切れていき、許すと関係は繋がっていく

怒ると関係は切れていきます。

明らかに相手に非があっても、怒ると相手は嫌な思いをするため心理的には拒絶したくなってしまい、次第に離れていってしまいます。
 
相手に非があることをわからせた上で、相手を許すと嫌な思いをせず、許されたことを恩義に感じることもあるようです。
ただ許すだけだと相手は付け上がります。許されたということはやっても良いという誤ったメッセージを伝えることになり、大きく誤解してしまうのです。そのため相手に非を認めさせた上で許すということが大切です。
怒ることは簡単です。しかし大きくの場合相手に伝わるのは怒っているという事実だけです。
 
何故怒っているのか相手にとっては検討もつかないこともよくあります。怒っている側には当たり前の『常識』でも、怒られている側には全くわからないのです。しかも烈火のごとく怒っていると怒っている理由を聞くことは火に油を注ぐようなものですから、聞くに聞けません。相手は仕方なく怒っている理由を想像するのです。そもそも人を怒らせようとして行動したわけではないのですから何かの情報や感覚が抜け落ちているのです。つまり怒りの原因は情報や感覚の齟齬・勘違いです。怒らせてしまったその齟齬や勘違いを、全く検討もつかないまま想像で探し出すのは非常に困難です。しかし理由を聞くことができなければ仕方がありません。怒られたことを自分なりに工夫して怒られないように準備します。いわば怒られた理由がわからないから納得いかないまま、手探りで対策を考えなければいけないという状態に陥ります。この状態が不愉快極まりないので、自分の落ち度が理解できないことも多く、もし落ち度が理解できたとしてもその落ち度を棚に上げて、怒った相手に対して恨みを抱くこともよくあります。
そのときは謝ってその場をおさめたとしても、怒られるのを避けるために関係を極力避けるようになってしまいます。恨みに思っているようなら、もしかしたら隠れて邪魔をするようになるかもしれません。
つまり怒ってもその場の優越感のみで、実質何も得るものがないのです。
 
元々は何らかの情報や感覚の齟齬・勘違いなので、そのお互いの勘違いを確認することです。怒る必要は全くありません。
その勘違いがこちらの誤解を与えかねない言い方のせいなのか、通常なら相手がするはずのない勘違いをしてしまったのか、その勘違いの元を探すのです。もしかしたら一般常識とされることがたまたま知らないだけなのかもしれません。相手が知っているべきことであっても、知らないことを怒っても意味がありません。いわば過失ですから。それを故意に怠ったと勘違いして烈火のごとく怒る人が多いのは悲しいことです。知らなければ教えてあげれば良いだけのことなのです。
ただし相手が知っているべきこと(いわば常識)を知らなかったから起こったから起こった勘違いであれば、常識を知らなかった落ち度を伝え、こちらに有利な改善策を話し合えば良いだけのことです。相手は怒られても仕方がないと理解していれば、怒られなかったことを恩義にすら感じる可能性があると思います。少なくとも相手は嫌な思いはしないため関係はそのままで、もしかしたら他の人を良い人だとして紹介してくれることで関係が繋がっていくかもしれません。
 
怒ると許す、ちょっとした工夫で結果は大違いです。
よかったらお試しを。