喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

関係が切れていく ~怒る・仕返しするなんて『意味』がない~

怒ると関係が切れていくので次第に世界が狭くなっていきます。
怒ることでその場では相手が謝ったとしても、相手に嫌な思いが残るので次第に関係が切れていきます。怒った後でも嫌々付き合ってくれることはあっても、時間とともに離れていってしまいます。どうしてもその人から教えてもらわざるをえない職人や落語などの徒弟制度はそれでもついていく人はいるかもしれませんが、通常は少しずつ距離をとるようになってしまいます。

ましてや過去に引き摺られて何らかの恨みをはらすために仕返しするというのは何の『意味』もありません。何故なら仕返ししたことで自分の得るものは何もありません。むしろその行動自体を周囲から非難されることになるかもしません。しかも通常は仕返しにより自分の地位が上がるわけでもありません。むしろ仕返しをする人と評価され、結果として自分の周囲からの評価を下げることに繋がります。得るものはただ気が晴れるという気分的・感情的なものだけのことです。どうしても気がすまなければ、相手にそれなりの償いをさせるように、相手のしてしまったことを理解させることです。そして反省を促し同じことを繰り返さないようにすることしか『意味』がないのです。仕返しをすれば気は晴れるかもしれませんが、過去に戻ることが出来るわけではありません。そして関係は切れていきます。
 
怒りたい・仕返ししたいという感情はぐっとこらえ、『未来』を変える方法を探しましょう。その方がずっと『意味』があります。
実際には怒りたくなったり、仕返ししたくなったりする状況そのものを作り出す隙をなくす努力をすることが大きな『意味』があります。
出来るだけ自分が嫌な思いをしないように、頭を巡らすことでトラブルを出来るだけ回避するように心がけることこそが大切だと思います。
 
例えば信号を守って横断歩道を歩いていて、運転手が携帯電話中で周囲をよく確認しなかった左折車に巻き込まれて子供が死んでしまった事故の話を思い浮かべてみてください。
信号を守って横断歩道を歩いている歩行者に落ち度はありませんが、携帯電話をしていた運転手を怒っても仕返ししても歩行者は生き返りません。
対策は自分で自分の身を守るしかありません。事故に巻き込まれる可能性を少しでも下げるように、信号があっても左右の確認だけでなく後ろの確認することを子供に伝えるのです。車が信号を無視する可能性や、歩行者を見落とす可能性があるから車の動きは良く見ないといけないと伝えるのです。
全ての事故を防ぐことができるわけではありませんが、ありとあらゆる危険性を前もって予測して、怒らなくて良い対策を前もって自分で立てるようにするのです。
 
『知恵』を使って、お互い嫌な思いをする隙をなくす。
そうすれば怒る必要はなくなりますし、仕返しするなんて必要は全くありません。