核実験を繰り返す国の対処法の一案
核実験を行う某国の対処法の一案を考えてみました。
一切構わないことです。何故なら彼らは不安を煽ることで自分達が有利に交渉しようとしているのです。我々が慌てれば慌てる程彼らにとっては都合が良いのです。核実験を非難する声明を出されれば核実験の効果があったことがわかり、喜んでいるかもしれません。
少し突拍子も無い発想ですが、私は親に構って欲しくて万引きを繰り返す構って君と構ってチャンの心理に似ているのではないかと思います。親が忙しくて相手をしてくれないことを寂しく思い、万引きをして捕まると怒られるとはいえ相手をしてもらえるから、万引きを繰り返す子供のような心理ではないかと思います。
最近気にしてもらっていないようなので核実験でもして反応を見てみようか?ミサイルを撃ってどれだけ慌てるか見てみようか?その思惑、目的にまんまとハマってしまい、アタフタしてしまっているのではないでしょうか?
もしかしたら一番有効なのは全く報道しないことなのかも知れません。
「平和のための無視」
を提案したいと思います。何故なら直接日本やアメリカに要求をしている訳ではないからです。核実験やミサイルを発射しているだけです。
少なくとも日本に実害が全くない場合には、報道しないことです。
もしくは核実験を行ったようです。ミサイルを発射したようです。だけで終わりにするのです。解析や見通しなどの報道はしないようにするのです。
まるで家庭内で家の中の物を壊して回る子供の行動に、理解が出来ず慌てる親のようです。親に直接要求しないけど、物を壊して回るので親は混乱しているのです。親は人を殺すのではないか?もしくは自分が殺されるのではないかと怯えて、子供の言いなりになってしまうようなものです。
物を壊しても親が相手にしなければ物を壊しても意味がないので自然と壊さなくなります。
話は核実験を行う某国に戻しますが、相手にしてもらえなければ駄々をこねることもなくなると私は思います。西側諸国が感情的な報道を行っている限り、核実験の意味が成立していまうからです。
誰かこの心理を政府の人達に伝えてあげて下さい。
ある少女像に思う
ある少女像にふと思います。
わざわざ改めて設置されたようです。
約束を守るという人間社会では当たり前のことが出来ないので、その対抗策を考えただけのことです。自分達で国際的にも問題のある少女像を設置して、騒ぎを起こしているのです。
人類がここまで発展出来たのは論理により話し合い、より良い解決策を模索した結果に過ぎません。しかし感情により論理を無視するのは動物的な行動です。気に入らないと吼えたてる犬や猿と、大して変わりません。知恵ある人間のすることではありません。
前近代的な発想のように思えます。
人類は感情による行動で争う事になってしまいます。感情ではなく論理で行動することで争いを避ける知恵を身につけることが出来ました。そのおかげで、現代では争い事が減ったのです。感情は人それぞれによって感じ方が異なるため、言葉で伝えることは出来ませんが、論理は言葉で伝えることが出来るからです。論理ら話し合うことが出来るのです。
あたかも先進国のような振る舞いをしていますが、感情で行動する時点で中身は発展途中なのかもしれません。
生前退位に思う
生前退位が取り沙汰されています。私は宗教的な考え方はないので、合理的に考えてみます。
私は生前退位の是非は議論の余地はなく、時期を議論すべきだと思います。
何故なら情報化社会が進み、これまでのように崩御に伴い元号が変わるとシステムの誤作動が考えられるからです。大半の機械は西暦2000年問題の際に対応されていますが、機械同士がネットワークで繋がっているため一台でも元号の問題が絡めば大変なことになります。前回の改元は紙の問題でした。印刷し直せば済むだけのことでしたが、今は大きく異なります。
少なくとも帳票システムなどは元号を使っていることも多く、一年の途中で元号が変わると混乱が考えられます。その点生前退位であればあらかじめ対策が取れるので、合理的です。
前回の改元は病気の進行に伴い時間的な余裕があったため、大きな混乱なく行われました。次の改元も崩御に伴い行うとすれば、年齢を重ねるにつれ心筋梗塞や脳梗塞などの突発的な崩御の可能性も考えられます。
12/31から1/1に年が変わる際に元号も変わるのが合理的です。生前退位はご本人も役人も国民も皆にとってよい話なので、議論の余地がないのです。
残るは時期の問題ですが、平成は30年年末で終了し、31年の代わりに新しい元号が良いのかもしれません。
日本が戦争に負けた理由
日本が戦争に負けた理由
それは物事を合理的に考えることができない人たちが物事を決めていたからです。
アメリカと戦争をすれば勝てないことは物事を合理的に考えることが出来れば、簡単にわかるはずでした。
資源一つとっても勝てる要素はありませんでした。
勝てない理由には目をつぶり、今まで日本は戦争に負けたことがないから勝てるはずという非論理的な神頼みに近い勢いで戦争をしてしまいました。
物事を合理的に考えることが出来る人が日本を率いていれば、戦争をいかに回避するかを主眼においていたはずです。しかし物事を合理的に考えることが出来る人も、今まで日本は戦争に負けたことがないから勝てるというある種の宗教の教えのような主徴を覆すことが出来ませんでした。人々が酔っていたような状態で物事を冷静に論理的に考えることが出来ない時代だったのかもしれません。
物事を合理的に考えることの出来る人達は忸怩たる思いで戦局を見ていたことでしょう。
いくら論理的に負けると説明しても、理屈を受け入れる気がないのですから話し合いにならなかったことが予想されます。
誰が悪いわけでもありません。
合理的に考えることをしなかったので、戦争に負けたことから学び取るべきだと考えています。
世界の各国に追い詰められて判断を見誤らされてしまったのです。
明治維新のときのような奇跡が起こらなかっただけのことです。
そして世界の各国の人達の想像をはるかにこえる日本人の意地が特攻という理解不能の行動に至らしめたのです。アメリカは圧倒的な戦力にも関わらず、命を賭してまで戦う日本人の得体の知れぬ姿に恐怖を抱き原爆という悪魔の兵器を使うしか無かったのです。合理的に考える人達には理解出来ないから日本人が怖かったのです。
戦うなら引き際も見極めて戦うべきでした。
戦うなら負け方も考えて行動するべきでした。
負けることはないから、負け方など考えない。
うまくいくから、失敗したときのことなど考えない。
どこかのお役所で今でも聞こえてきそうな言葉です。
実は日本の企業の経営がうまくいかないのは、日本が戦争に負けた理由と同じです。
物事を合理的に考えることを怠り、話し合いでみんなの私利私欲の総和の最適解を求めようとしています。合理的に探せば簡単に見つかる正解を、私利私欲が霞ませてしまいます。正解が私利私欲で霞んで見付からないので無駄な議論ばかり行い、時間だけが過ぎていくのです。
私は日本が戦争に負けた理由は、合理的に考えることをしなかったからだと思います。
しかし日本が戦争に負けた『意味』は、世界から公式な差別をなくしたことだと思います。日本が直接差別を無くした訳ではありませんが、一石を投じたことに間違いはありません。
戦争は絶対にしてはいけません。何故なら取り返しがつかないからです。
しかし、差別に関してだけは胸を張ってもよいと私は思います。黒人と白人の中間にいる黄色人種である日本人が差別を失くすきっかけを作ったのだと私は解釈しています。
武器を手に取る戦争はしなくても、お金を奪い合う経済戦争は今でも行われていると思います。
最近他国に比較して日本が衰えてきつつあるのは、物事を合理的に考えない戦前の日本のような状況だからだと私は思います。このままでは経済戦争でも負けてしまいそうです。
みんなが私利私欲で自分達の立場を中心に考えることをやめ、合理的に考える国に早く生まれ変わって欲しいと私は切に願います。
私利私欲で物事を考える視点をやめれば自然と戦争をすることはなくなります。何故なら戦争は勝った者は得るが負けた者は失い、その過程でお互いが物を壊し人を殺す、人類トータルでみると誰も得をしない仕組みだからです。
実は私利私欲をこえた合理主義が世界を平和へと導くと私は思います。
アメリカが原爆を落とした理由
アメリカ大統領が広島を訪問することで、話題になっている原爆について考えてみます。
あくまでも私の私論です。
日本との戦争の終結を目的にアメリカは広島と長崎に原爆を投下しました。
善悪はその人その人の立場、考え方によって異なるものですから善悪を論議しても『意味』がありません。
多くのアメリカ人の命を守るためという建前で原爆投下を正当化し、投下に踏み切りました。
確かに原爆を投下しなければ戦争は更に長引いていたことでしょう。
今回は建前ではなく、アメリカ側の心理から考えてみます。
一言で言えば日本人が怖かったのです。
怖いということを公表できないので、アメリカ人の命を守るためとしたのです。
何故怖かったのかというと、命を賭してまで国を守ろうという考え方です。
神風というゼロ戦による特攻、回天という潜水艦による特攻を行う兵士がいることが理解できなかったのです。
合理的に考えれば日本がアメリカと対等に戦争をすることはあり得ません。だからアメリカは戦争になるとは考えていなかったのです。少なくとも戦争になったとしても早い段階で日本が降伏すると考えていました。何故ならアメリカ人は合理的に物事を考えるので、合理的に物事を考えられない人たちが国の舵取りをしているなどと想像すら出来なかったのです。
国に対して忠誠を誓い自分の命を使って攻撃してくる日本人兵士にアメリカ人は心底驚いたはずです。そして日本の歴史をみれば江戸時代には切腹という慣習があったため、死に対する概念がアメリカ人とは異なることを特攻により改めて実感したのだと思います。そのような命を賭してまで国を守ろうとする日本人は、全てが死に絶えるまで負けを認めないことを察し、自分達とは考え方が大きく異なるため恐れたのです。
日本人は時代劇やドラマなどで切腹のシーンを見ることもあり、戦時中の異常な考え方を知る機会があるため、死を恐れず戦うのは当たり前だったということを理解しています。死を恐れるような発言をすることすら出来ないような風潮だったことも知っています。しかしアメリカ人にとっては理解不能なだけに恐ろしかったのです。だからやむを得ず原爆という実力行使に出たのです。日本人に負けを認めて欲しくて、負けを認めるきっかけとして原爆を活用したのです。
原爆はきっかけでしかありません。
原爆がなくても日本が負けたことに変わりはありません。
恐らく開戦数ヶ月で負けは決定的だったでしょう。しかし日本は戦争に負けたことがなかったので、負けの認め方がわからなかったのです。
日本は原爆がなければ泥沼の本土決戦になっていたでしょうし、負けを認める機会を失ったかもしれません。そして最後の一人まで戦いかねない日本人を恐れたからこそ、アメリカ人は原爆を落としたのだと私は思います。
アメリカ人を守るために原爆を落としたという建前を言っていますが、日本人が理解できず怖かったから原爆を落としたという本音を語る方が多くの理解を得られるように思います。
相手が理解できないことで、相手への恐れから攻撃することがないようにこれからの社会が形作られていくことを祈っています。