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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

ある神社の問題

首相がある神社の参拝が取りざたされるという不思議な現象があります。
私が不思議だと思うのは、神社への参拝は個人の信教の自由だと思うのに、そのことを他人が口出ししようとするからです。内政干渉ならぬ個人の信教干渉です。
先進国の多くが信教の自由が認められていますが、参拝の是非を議論する時点で先進国ではないことを公言していることと同義なので、やめたほうが良いのではないかと思います。

ある国々が神社への参拝の是非を問う理由を考えてみました。
A級戦犯が祀られているからとの話を聞きます。
A級戦犯は死刑により罪を償っています。
先進国では罪を償ったものを責めたりはしません。ここでも先進国ではないことを公言していることと同義なので、やめたほうが良いのではないかと思います。

また死生観についても違いがあります。
日本では、死は究極の責任のとりかたです。
死んだ時点で終わりです。死んだ人を悪く言わないという文化もあります。
ある国では死んだ人の骸を掘り返し更に八つ裂きにしたりするらしく、死んだとしても許されないそうです。
この死生観の違いがあるのに、自分の死生観を他人に押し付けようとされても困ってしまうのが正直な感想だと私は思います。

とはいえ、もし私が首相の立場なら、無用な争いは避けたいとは思います。
そこでできれば参拝をしたいが周辺国に波風を起こすかもしれない。同盟国のアメリカとしてはどのように思うか?とアドバイスを求めます。
やめておけということになれば、アメリカの顔を立ててやめたという大義名分が成り立ちます。
参拝しなくても、波風を避けるために参拝を控えたという参拝した以上の評価を得ることができただろうにと思います。

自分の信念も大切ですが、自己満足の域を出ていないようにも思います。
私は宗教を信じていないので、どちらでも良いのですが、お互い感情的にならない道を探し出せば良いのになと思います。

 

宗教の大原則は人が信じているものに口出しをしないということです。
歴史上宗教戦争は、人の信じているものに口出しをするから戦争になっています。
宗教は本来みんなが仲良く平和に暮らすために生まれたはずなのに・・・。
争いの無い平和な世の中になりますように。