喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

子供を責めてしまう親の心理

子供を責めてしまう親の心理を考えてみました。
親は子供のためを思って親なりに一生懸命育てています。
そして子供を責める心理に追い込まれてしまうのです。
(実際には自分で自分を追い込んでしまうのです)


これだけ子供のことを考えて、子供のためになると思って一生懸命無理をしてでも育てているのにわかってくれない。何でわかってくれないの!と責めてしまうのです。
または子供が怒られないようにするのは当たり前のことなのに、何故怒られない行動がとれないの!と責めてしまうのです。
親が親の都合で子供を責めてしまうのです。


しかし親の言い分もわかります。親自身どうしたら良いのかわからないのです。
わからないから自分なりに考えて一生懸命子供を育てているのです。親自身が自分なりに考えるというところがポイントで、人それぞれ考えることが異なります。いわばどうすれば良いのかわからないため手探りで子育てをしているのです。宗教がお手本の役割を果たしている地域もありますが、日本では宗教を中心とした考え方をすることがないため、子育ての指針とも言えるものがないのが現状です。子育ての指針がないため親自身が各自考えて手探りで子育てを行い、子供には真意・その目的が理解できず混乱してしまうのです。

そして親は自分にとっては当たり前だから、子供も当たり前にわかっているはずだと思い込んでいることもよくあります。親にとっては当たり前、子供は知らない・聞いたこともないという齟齬・勘違いで親は怒り、子供は怒られて混乱します。
親は子供が知っているはずなのに知らないことを責めてしまうのです。子供が知っているはず、わかっているはずだということ事態が勘違いです。子供が知らなければ・わかっていなければ親の責任です。責めること事態が自己矛盾です。知らないことは教えていない親が悪いと思えば責める必要がないことも十分わかります。

 

わざと人を傷つけるという故意の場合は話は別ですが、過失であれば責める必要はないと思います。次に同じことをしないためにはどうすれば良いのかを親が考えて、子供にわかりやすく伝えてあげれば良いだけのことです。
子供が悪いのではありません。誰も悪くはありませんが、あえて言うなら教えていない親が責任です。
言ったのに聞かないという人もいますが、言っただけで意味や目的が理解できていないのではないでしょうか?それも伝え方に問題があるので、親の責任だと思います。

一般的には親が子供を怒るので親が正解で子供が間違いという考え方が主流だと思います。しかしこの考え方自体に問題があると思います。子供の方が強ければ、そんなこと誰も教えてくれていないし、知らない。知らないことをそんなに責められてもどうしていいかわからない。知らないだけなんだから、前もって教えてくれれば良いのに教えてくれないなんて、罠を張っておいて罠に落ちたら責められている気分。おかしくない?と逆に親が責められることでしょう。
ただ単に子供の方が体も小さく一人では生活できないから渋々親に従うだけのことなのです。


子供の行動はこれまで親が育てた結果というだけのことです。
もし問題があるとすれば、親の育て方であり、子供を責めるのはお門違いです。
正確には子供の行動は何も知らないだけで、問題があるとすればその問題をどのように修正すべきか親の力量が問われているのです。

とはいえ子供を責めることに『意味』がないことを知らない親にも悪気があるわけではありません。子供を責めたところで何も解決しません。どんな目的で子供は行動したのかを考え、どうすれば子供の行動を変えることが出来るかを考えると良いと思います。

子供を責める前に少しだけ考えてあげてみてください。
子供が何も知らない前提を踏まえて、子供の立場から何故そんな行動をしたのだろうか?と
どうすれば子供の行動は改善するだろうか?。
責める必要はありません。子供は何も知らないだけなのです。
親も悪気があって責めているわけではありません。親も知らないだけなのです。責めずに改善させる方法を。

親子ともお互い不幸になる方法が『責める』という行為です。
責めないで解決方法を探してみましょう。
そうすれば親子ともに笑顔が待っています。