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喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

アメリカが原爆を落とした理由

考え方について

アメリカ大統領が広島を訪問することで、話題になっている原爆について考えてみます。
あくまでも私の私論です。

日本との戦争の終結を目的にアメリカは広島と長崎に原爆を投下しました。
善悪はその人その人の立場、考え方によって異なるものですから善悪を論議しても『意味』がありません。

多くのアメリカ人の命を守るためという建前で原爆投下を正当化し、投下に踏み切りました。
確かに原爆を投下しなければ戦争は更に長引いていたことでしょう。
今回は建前ではなく、アメリカ側の心理から考えてみます。

一言で言えば日本人が怖かったのです。
怖いということを公表できないので、アメリカ人の命を守るためとしたのです。
何故怖かったのかというと、命を賭してまで国を守ろうという考え方です。
神風というゼロ戦による特攻、回天という潜水艦による特攻を行う兵士がいることが理解できなかったのです。
合理的に考えれば日本がアメリカと対等に戦争をすることはあり得ません。だからアメリカは戦争になるとは考えていなかったのです。少なくとも戦争になったとしても早い段階で日本が降伏すると考えていました。何故ならアメリカ人は合理的に物事を考えるので、合理的に物事を考えられない人たちが国の舵取りをしているなどと想像すら出来なかったのです。

国に対して忠誠を誓い自分の命を使って攻撃してくる日本人兵士にアメリカ人は心底驚いたはずです。そして日本の歴史をみれば江戸時代には切腹という慣習があったため、死に対する概念がアメリカ人とは異なることを特攻により改めて実感したのだと思います。そのような命を賭してまで国を守ろうとする日本人は、全てが死に絶えるまで負けを認めないことを察し、自分達とは考え方が大きく異なるため恐れたのです。

日本人は時代劇やドラマなどで切腹のシーンを見ることもあり、戦時中の異常な考え方を知る機会があるため、死を恐れず戦うのは当たり前だったということを理解しています。死を恐れるような発言をすることすら出来ないような風潮だったことも知っています。しかしアメリカ人にとっては理解不能なだけに恐ろしかったのです。だからやむを得ず原爆という実力行使に出たのです。日本人に負けを認めて欲しくて、負けを認めるきっかけとして原爆を活用したのです。

原爆はきっかけでしかありません。
原爆がなくても日本が負けたことに変わりはありません。
恐らく開戦数ヶ月で負けは決定的だったでしょう。しかし日本は戦争に負けたことがなかったので、負けの認め方がわからなかったのです。

日本は原爆がなければ泥沼の本土決戦になっていたでしょうし、負けを認める機会を失ったかもしれません。そして最後の一人まで戦いかねない日本人を恐れたからこそ、アメリカ人は原爆を落としたのだと私は思います。

アメリカ人を守るために原爆を落としたという建前を言っていますが、日本人が理解できず怖かったから原爆を落としたという本音を語る方が多くの理解を得られるように思います。

相手が理解できないことで、相手への恐れから攻撃することがないようにこれからの社会が形作られていくことを祈っています。