喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

先人の『知恵』のおかげ 『知恵』の元を『考える』

昨日は先人の『知恵』のおかげについて書いてみました。
子供たちへの教育の視点から先人の『知恵』の『意味』を考えてみました。
今の教育は理解度を評価することに視点が置かれているため、採点しやすいように物事を教え、問題が解けるかどうかが問われています。どれだけ苦労して編み出した『知恵』かを知ることで、ありがたみと先人の偉大さを学ぶべきではないかと私は思います。

例えば火起こし。
山火事などで焼け死んだ動物が美味だったことから、残り火を扱い始めたのが起源だと考えられる。めったに火事は起こらないので、一度手に入れた火を絶やさないようにする『知恵』が培われた。しかしいつかは消えてしまう。そこでいつでも手に入るように火を起こすことを思いついた。『火』というものが科学的に全くわからず、自然の観察だけから火を起こすという発想は天才的な頭脳の持ち主が思い至ったことだと想像される。石器を作っていたら火花が散るのを見て火をつけられないか試したのであろうし、木を道具に加工しようと擦り合わせていたら煙が出始めたので息を吹きかけてみたのでしょう。経験的に燃えやすいものを見分けられるようになり、擦り合わせると火がつくことを学んで効率よく擦り合わせる方法を考えていったのだと思います。

そういうことを疑似体験することで、先人の『知恵』のありがたみとその『知恵』を生み出した先人の発想力の凄さを学ぶことこそが子供たちが取り組むべき教育だと私は思います。

例えば物を運ぶということ
物を運ぶという作業。今では機械を使うのが当たり前で、運ぶ工夫を理解している人はほとんどいないと思います。
如何に車輪の発明が画期的だったかということを学ぶというものです。それ以前は思い物を運ぶ場合、木を下に敷いて引っ張って転がすしか方法がありませんでした。車輪の発明により画期的に抵抗が減弱したためより効率的に物を運ぶことができるようになりました。
また思い物を運ぶ際にはてこの原理や滑車を活用しますが、このてこの原理の発見や滑車の発明以前の大変さを想像し、いかに画期的に文明が発展したのかを学ぶと新しいものを生み出す能力が養われるのではないかと思います。

もしこの『知恵』がなかったら、どんな生活になるんだろうか?と想像してみる教育も、『考える』心を育む良い教育だと私は思います。