喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

子供を怒ってばかりいると・・・

子供を怒ってばかりいると、子供は怒られるから怒られるようなことはやらなくはなるでしょう。
しかし理由は怒られるから。
子供に善悪の判断や、やっていいことと悪いことの判断力がついたわけではなく、ただ怒られない『目的』で怒られる行動を控えるだけです。
それでは怒られない環境になれば、やっても良いことになります。
理由は怒られないから。
怒ってくれる人がいないところでは、何をしても許されると勘違いしてしまうのです。
何故なら怒られないから。
怒られて育った子供は価値観が『怒られること』と『怒られないこと』になってしまいます。
悪いことをしたら怒られるはずだから、怒られないことは悪いことではないと判断してしまうのです。
これが行き着くと、見つからなければ良いという価値観になってしまいます。
倫理観が欠如してしまうのです。
怒られないためなら嘘も平気になります。

親としては悪いことをしているのですから怒るのは当たり前だという認識です。怒られるから悪いことをしてはいけないのではなく、悪いことだからやってはいけないことも子供がわかっているはずだと思い込んでいるのです。悪いとわかっている(はずの)ことをするから親は怒るのですが、子供は何をしたら怒られるのかよくわからないまま親の顔色を伺いながら手探りで行動することすらあるのです。

親は子供は悪いことだとわかっているはず、子供は悪いことだと知らないだけという認識の齟齬(勘違い)から生まれる悲劇です。

 

しかも怒られてばかりいると、悪いことであれば怒られるはずだから怒られなければ悪くないという歪んだ価値観を知らず知らずのうちに身につけて当たり前だと思い込んでしまいます。親身になってくれる親・先生だけには通用するかもしれませんが、残念ながら他人には全く通用しません。わざわざ怒る優しさを持ち合わせていません。余計なトラブルを避けるため、余程目に余ることや明らかな法律違反をしない限り悪いことだと指摘したりはしません。怒るなどというそんな面倒くさいことをしてくれるのは親か先生くらいです。
しかし当の本人達は怒られないので、悪いことではないと判断してしまうのです。

私自身は子供を怒る必要はないと考えていますが、百歩譲って怒ることを認めたとしても、その『目的』は子供に常識や倫理観を身につけさせることであって、ただ怒られるような行動を制限することではないはずです。親自身が不快に感じるから怒っていることが多いように思います。怒るとしても、子供に常識や倫理観を『目的』に叱ることをお勧めします。

 

子供の成長の『目的』は善悪の判断力・常識・倫理観をつけてあげることです。
感情的に怒るよりは、子供にこれらの『知恵』を授けてあげることができるように叱ってあげて欲しいと思います。

 

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