喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

平等の弊害 ~嫉妬心の起こる理由~

平等に扱われることが当たり前になっています。法の下の平等 - Wikipedia憲法で規定されていますから、当たり前といえば当たり前です。

しかしあくまでも法のもとの平等であって、貴族と平民という扱いはしませんよというだけのことです。人によって適応する法律をかえたりしませんよというだけのことです。今となっては当たり前のことです。しかし何事においても平等・同じであるべきだという誤解があるように思います。この誤解している人たちが歪んだ感情を抱くようになっていると私は思います。
例えば、人のことを妬んでしまう嫉妬や人を羨む羨望などは、元は同じはずなのにズルイと思ったり、いいなと思ったりする心から生じます。
生まれつきお金持ちの人や才能のある人に対して嫉妬したり羨望の心が多少はあると思いますが、陥れてやろうとまで強く嫉妬する場合、その人も『同じはずなのにずるい』という歪んだ平等の考え方が元にあるからです。
嫉妬心の強い人と弱い人がいるのは平等の考え方が違うためです。普通の人は法の下の平等は身分による差別をしないことだと理解していますが、嫉妬心の強い人は何事も同じに扱われるべきだと大きく勘違いしています。人はそれぞれ違うことが受け入れられず、努力が足らないことを人のせいにしたがる場合も強い嫉妬心に繋がります。これもベースは同じはずなのにこの扱いはおかしいと勘違いしているのです。周囲は扱いの違いは各個人の努力や才能の違いと容易に理解できるのですが、嫉妬心の強い人に限って扱いの違いが不等だという思い込みが激しく自分が人より劣っていることを受け入れがたくなります。
同じはずなのに同じ扱いを受けないのはおかしい!不当な扱いを受けているのは何らかのズルをしているからだ。だから陥れてやろう!という心理のようです。
 
嫉妬心の強い方に悩まされる場合、解決法の一つは違うことを理解させてあげることです。
1億人いれば1億人それぞれが異なるということを理解してもらえば良いだけです。
差別はいけませんが、区別は必要で、才能や努力により区別されているだけだとわからせてあげればよいと思います。
何事においても同じ扱いを受けないといけないと言い張る人がいれば、男女別のトイレやお風呂が説明できませんよね。体の作りが違うのだから区別して生活しましょうという男女別が差別に当たるかどうかと考えれば、理解もスムーズだと私は思います。
 
もっと人と人とが違うことを受け入れることができるような教育をして欲しいなと私は思います。人と違うことからくる羨望は努力の糧となることも多く、大切な感情だと私は思います。
みんなが人と違うことを受け入れることができるようになれば嫉妬心はなくなるのに・・・。