喜 哀楽の考え方

私(喜 哀楽)の考えていることを、できるだけわかりやすく書いていきます。

記憶の価値の低下 ~これから問われる能力~

そもそも人間の記憶の価値が以前より大幅に下がっています。

何故なら文明の利器である記録媒体が急速に進化しているからです。文字が発明された当初は粘土板や木や動物の骨に記録されていました。その後画期的な紙が発明され、伝達性・保存性に優れたため多いに活用されはじめました。非常に高価なものだったちめ、情報の正確な記録としてだけ使われていました。活版印刷の発明で記録媒体としてだけではなく、伝達媒体としてま急速に普及しました。

伝達性・保存性には優れてあた紙ですが、どこに書いてあるかを調べることがかなり困難で、時間のかかるものでした。やむを得ず目次や索引というメタデータを使って情報を検索するしかありませんでした。正確な情報を伝達・保存することには長けていましたが、必要な情報を瞬時に取り出すには不向きな記録媒体でした。必要な情報を速やかに取り出す場合には人の頭の中に記憶し、必要な情報を取り出して利用することしかできまなかったのです。
つまり一番優れた検索システムが人の脳による記憶の検索システムだったのです。そのため様々な能力試験では記憶力を中心に試験が行われていました。

 

しかし今ではコンピュータや情報端末が発達し、インターネットを活用することで情報を瞬時に検索して取り出すことが容易になりました。

これだけ情報を取り出すことが容易になると、記憶力が優れていることは重視されず、いかに必要な情報を早く正確に取り出すことができるかが問われることになります。情報を覚える必要はなく、いかに素早く検索し、正しく情報を取り出せるかが問われる時代です。検索能力が問われるべきなのです。
これまでは記憶力と処理能力が問われる時代でしたが、これからは情報収集能力と判断力、情報処理能力が問われる時代になっています。
残念ながらまだ一部の人しか気づいていないため、学校教育は終戦直後とほとんど変わりません。

時代は急速に移り変わっています。必要とされる能力は日々変わりつつあります。

これからは記憶力よりも必要な情報を自分から探し出し、情報が確かかどうかを自ら確認し、必要な判断を下すことができる情報処理能力が問われる時代になると私は思います。

記憶の不思議な話はこちらです。

 

記憶の不思議 ~きっかけ一つで記憶が芋づる式に湧いてくる~ - 喜哀楽の考え方