『賢い』人と『愚か』な人の違い ~高偏差値でも『愚か』な人の話~
『賢い』と言われる人がいます。昔だと神童とか言われたそうです。
今回は『賢い』について考えてみたいと思います。
世間一般では東大に行けば『賢い』と評価され、東大以外でも偏差値が高い大学出身だと一目置かれる存在となります。
『賢い』とは学校の『勉強』が出来ることでしょうか?
それ以外何があるの?と思い込んでいる人も中にはいることでしょう。
『勉強』が出来ることこそが『賢い』と思い込んでいる人は、そもそも考える癖の無い『愚か』な人だと思います。人の意見や価値観を鵜呑みにして疑わないことこそが『愚か』だと私は思います。
ですから、高偏差値でも『愚か』な人がありえるわけです。
ここで言う『愚か』とは、『価値』・『意味』・『目的』を自分で判断していないということです。
中学、高校の『勉強』が出来るというのは
で書いたように、学校の教科書を作ったクイズに答えるのが得意かどうかが問われているだけ。
必ず答えのある問題の正解を見つけることができるかどうかだけのことです。記憶力と論理的思考能力のごく一部は調べることができるかもしれません。しかしそれだけのことです。人間の能力のごく一部の能力を測っているだけのこと(一部の偏った能力だけ測るだけに偏差値とは実にぴったりな名前です)です。偏差値が高くても記憶力が人よりちょっとよくて、ちょっと頭が回るだけのことです。
私の考える『賢い』人とは、
- 新たな知識を求める人
- 新たな知識がこれまでの自分の知識と矛盾がないか検証する人
- 様々な課題や問題を積極的に探し出す人
何かおかしいことがないかな?矛盾がないかな?と積極的に探すような人 - 様々な課題や問題に気づく人
特に探してはいなくても、問題に気づく人 - 物事の『意味』や『目的』の様々な可能性をいくつも考え付き、その中から最適な考えを選択できる能力
絶えずあらゆることの『意味』や『目的』を考えており、いくつもの可能性を前もって考えているため短時間で最適な考えを選択できる。
高偏差値の『愚か』な人は、高偏差値だと何を『意味』するのかを考えることなく『賢い』と誤解してしまっています。高偏差値が何を『意味』するのかを考えつけば、このことに関しては『愚か』な人から『賢い』人に大きく変わることが出来ると私は思います。他にも自分でも気のつかない間に、人の意見や価値観を鵜呑みにして『意味』や『目的』を深く考えず行動していることもあると思います。
具体的に見てみますと、最近では少なくなったものの人が車を買うから車買うのが当然。友達みんなが家を買ったし、親からも持ち家を持って一人前といわれるから自分も買うのが当然など。
テレビではもっと身近な例が多数あります。この健康食品が良いらしいと聞くと、飛びつき。このダイエット法が効くと聞けば、何故効くかという理屈抜きに信じてしまう。
理屈抜きに信じるというのは宗教の世界では当たり前ですが、現代社会において闇雲に人の話を信じるのは危険だと私は思います。
虎視眈々と騙そうと狙っている人がいる現代社会において、理屈抜きに受け入れることこそ『愚か』だと私は思います。
賢くなるために、何事も『価値』・『意味』・『目的』を自分で必ず考えるようにしたいものです。